other side of the moon

何もない日々

気づけばまた春が来た。

春は好きじゃない。終わることが増え、必然的に始まる事も増えるからだ。

 

そう言えば家出をした、と前回の日記に書いたと思う。書いてなくてもいいけれど。

理由は至極単純で、母親と一緒にいない方がいいと心理カウンセラーの人に強く勧められたからだ。

私も母親もお互いのことが大好きなのだけど、生き方や在り方が普通の家族のように上手くいかない、軽い共依存みたいなものになっているみたいだった。

みたい、という言い方になってしまうのは、自分に全く自覚がない。普通の母親で普通の子供という関係だとまだ思っている。

全く会わないという訳でもないからこれはこれで別にいいけれど何で普通に生きてるだけなのに離されなきゃいけないのかとは多分お互いが思っていると思う。

母親はフツーの枠から外れることをひどく嫌うのでこの状況は多分怖いと思う。

いつ帰るんだろう、もう飼っている動物や家に帰らなければならない理由がないのでリュック一つでどこにでも行ける。

 

出されたご飯を残すことが出来ない。幼い頃からこれいらない、食べられないと言うと必ず大人が怒ったり悲しんだりするからだ。

食べれないからと控えめに伝えても若い子は沢山食べなきゃダメだよだの何だのと言われ結局腹に詰め込み吐くことも出来ず数時間後に来るであろう腹痛を待ち構えるくらいしか出来ない。

怒られる事がとても怖いせいで拒否が出来ない人間になってしまった。意志が弱くなったと感じてる。拒否しないまま曖昧な返事をするとそれはそれで後々怒られるけれど。

怒られると言うより否定されるのが怖いんだと思っている。私が20年弱生きてきて積み上げた人格を真っ向から否定されるのが怖い。すごく怖い。

真っ向から否定されたことは恐らくないけど自分に成功の体験が少なすぎるのが要因の一つかもしれない。今まで生きてきてみんなが当たり前のように(周りが努力をしているのは知っている)やってきたことが私にはできなかった。そうやって出来ないことが沢山増えていった結果がこの自己肯定感の低さに繋がってるのかもしれない。

 

自己分析したところで何も変わらないのは知ってるけど。

この先どうしたいの?と親戚やはたまた元バイト先の店長や家族の友人等に気紛れに聞かれる度に言葉に詰まる。何もしたいことが無い。明日の事なんか考えられない。母親の顔にこれ以上泥を塗りたくないとかそう言う自己満足な理由をつけて延命している。

中学校のテニス部の公式試合で出させてもらった時、わたしはプレッシャーに勝てなかった。後ろからの応援の声や視線が酷く怖かった。失敗したら怒られるのではないか、皆に失望されるのではないか、嫌われたらどうしよう、etc.

手や声が震えて涙目で試合していたのを思い出す。確かあの試合が終わった後顧問が母親に連絡して迎えに来て帰ったのではないかと思う。この様にコンプレックスを辿れば小学一年生からそれが淡々と積み重なってきた現在なんだと分かる。

 

昨日のことも思い出すのも憚られるような日々がいつまでも続くのなら早く酒の肴に出来るような大人になるか今すぐ真空に放り出されて死ぬかしたい。酸素が足りない。

花が綺麗だとか今日はとても暑かったねとか、それくらいがいいのに。