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初夏の昼下がりに外にも出ずのんべんだらりとブログを書いています。
上半期、なにもしなかった2018年ですが年だけ取りました。
色んなものやことを知るうちに自分の感情がだんだんと言語化出来る様になって、自分の感情や思考の大体が認められたいとか、褒められたいとかいう自己顕示欲や承認欲求からきていることに気付きました。自己肯定がほぼできない私は、自分がすることや自分自身に全く肯定感を得られず自分で自分の未来すら選択できず幼い頃なりたかった自分にすらなれずマジで生きてる意味って何なんだってずっと思っているわけです。
出来ることなら昔の自分に土下座して謝り倒したいです。
他者から見てこんな卑屈な人間みていて面白いわけもありません。ネガティブな意見もポジティブな意見も伝染すると耳に挟んだことが有るので控えたいと思っていましたがTwitter等は別に特定の個人に向けて発信している訳ではないので無理だと思ったらブロックとかミュートとかリムーブとか便利な機能がありますのでそちらを参考にしていただければと思います。ブロックしたのに見に来る方は見世物を見に来ているんだろうなあと思っています。
話がそれました。すみません。
自己肯定が出来ないと他者から肯定されたがるようになります。でも褒められること特にしていないし今だって昼行燈のような暮らしです。結局他者にも肯定を求められずずっとずっと自分の中でぐるぐるしています。絵だって創作が出来るわけではない上二次創作という人の土俵で相撲を取っている状態なのでそれで認められたいと喚くのも何か違うなと思って大人しくしています。先ほども述べましたが自分が描いたものを他者にアピールするのがすごく恥ずかしいのであげたりは出来ません。多分そういうところだと思います。助けてくれ
もうずっと言ってますけど人間が苦手なんですよね、人間が何言ってんだって感じなんですが。なので動植物の方が気が楽だし人とのかかわりがガンガン減るわけです。楽なんですけどそうやって逃げて生きてきてもまだ人生はこんなにも長くあまりにも辛くて。結局いつ死ぬかの違いでしかないのに終わりたがっている。
今までほぼ不正解ルートを選んで生きてきたのにまだ終わらない人生ゲームほんとクソゲーですね!バッドエンド不可避です。
そういえば最近ラップにハマっています。終わり。
春
気づけばまた春が来た。
春は好きじゃない。終わることが増え、必然的に始まる事も増えるからだ。
そう言えば家出をした、と前回の日記に書いたと思う。書いてなくてもいいけれど。
理由は至極単純で、母親と一緒にいない方がいいと心理カウンセラーの人に強く勧められたからだ。
私も母親もお互いのことが大好きなのだけど、生き方や在り方が普通の家族のように上手くいかない、軽い共依存みたいなものになっているみたいだった。
みたい、という言い方になってしまうのは、自分に全く自覚がない。普通の母親で普通の子供という関係だとまだ思っている。
全く会わないという訳でもないからこれはこれで別にいいけれど何で普通に生きてるだけなのに離されなきゃいけないのかとは多分お互いが思っていると思う。
母親はフツーの枠から外れることをひどく嫌うのでこの状況は多分怖いと思う。
いつ帰るんだろう、もう飼っている動物や家に帰らなければならない理由がないのでリュック一つでどこにでも行ける。
出されたご飯を残すことが出来ない。幼い頃からこれいらない、食べられないと言うと必ず大人が怒ったり悲しんだりするからだ。
食べれないからと控えめに伝えても若い子は沢山食べなきゃダメだよだの何だのと言われ結局腹に詰め込み吐くことも出来ず数時間後に来るであろう腹痛を待ち構えるくらいしか出来ない。
怒られる事がとても怖いせいで拒否が出来ない人間になってしまった。意志が弱くなったと感じてる。拒否しないまま曖昧な返事をするとそれはそれで後々怒られるけれど。
怒られると言うより否定されるのが怖いんだと思っている。私が20年弱生きてきて積み上げた人格を真っ向から否定されるのが怖い。すごく怖い。
真っ向から否定されたことは恐らくないけど自分に成功の体験が少なすぎるのが要因の一つかもしれない。今まで生きてきてみんなが当たり前のように(周りが努力をしているのは知っている)やってきたことが私にはできなかった。そうやって出来ないことが沢山増えていった結果がこの自己肯定感の低さに繋がってるのかもしれない。
自己分析したところで何も変わらないのは知ってるけど。
この先どうしたいの?と親戚やはたまた元バイト先の店長や家族の友人等に気紛れに聞かれる度に言葉に詰まる。何もしたいことが無い。明日の事なんか考えられない。母親の顔にこれ以上泥を塗りたくないとかそう言う自己満足な理由をつけて延命している。
中学校のテニス部の公式試合で出させてもらった時、わたしはプレッシャーに勝てなかった。後ろからの応援の声や視線が酷く怖かった。失敗したら怒られるのではないか、皆に失望されるのではないか、嫌われたらどうしよう、etc.
手や声が震えて涙目で試合していたのを思い出す。確かあの試合が終わった後顧問が母親に連絡して迎えに来て帰ったのではないかと思う。この様にコンプレックスを辿れば小学一年生からそれが淡々と積み重なってきた現在なんだと分かる。
昨日のことも思い出すのも憚られるような日々がいつまでも続くのなら早く酒の肴に出来るような大人になるか今すぐ真空に放り出されて死ぬかしたい。酸素が足りない。
花が綺麗だとか今日はとても暑かったねとか、それくらいがいいのに。
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また何か、何もないけど書きたい気分になった。
何かあったと聞かれたらバイトを止めて実家から家出しましたということくらいしかない。
でも文字に起こさないとひどく疲れて頭が混乱する。
自分が分からなくなった。
眠りにつく自分と考えて喋っている自分は違う気がする。私は私である必要はどこにも無いとひどく思う。私の記憶を持ち私の外見を持った人間と私が入れ替わっても誰も気が付かないし私の中身が何もなく見た目だけ考えて喋って笑って泣いていても私も気づけない。
君は君だと言われようが他者からの肯定は正解であっても真実ではない。
君らしく生きていいなんて詭弁だろう。らしくなんてもう自分が、自我が分からないのにどうやって自分“らしさ”を確立すればいいのか。
私は誰なんだろう。
いてもいなくても変わらないのならもういなくなってしまいたい。
生きる予定を立てるのが面倒で仕方ない。人に自分の意見を述べるのが難しくなった。肯定されたがるようになった。好きなものを好きと言えなくなった。迷惑をもうかけたくない。
普通になりたいとひどく思った。逃げて迷子になって結局落ちこぼれの愚図のまま多分何もできず死ぬのだろうなと思う。それくらい愚図でもわかる。
明るく生きて人に優しくして…みたいな望まれた人間になりたかったよ、お母さん。
せっかく買ったps4もソフトも放置しっぱなしで実家に置いてきてしまっている。少しでもほかの事を考えられるようになったらと思ったんだけど、大きな使命を持った主人公を操作するのは苦手みたい。
人がまだダメだった。楽しそうな友達とかライブのレポートとか見て吐き気と涙が出てきた。本当に、考える時間が必要なんだと思う。
何も見たくないし聞きたくない。
移転
見てる人なんていないし自分の見返し用に書いているだけなのですが
fc2から移転しました。
昔の日記を貼りました。